Twitterでこんな言葉を見かけた。
「してあげたのに」は呪いの言葉です。 その後に続く言葉は「なのに、何もしてくれない」です。 「してあげたのに」を発した途端、全ての行為が取引に変わります。 愛情でしていた行為も、お返しを期待する取引行為に変わってしまうのです。 心で思っていても、声を出してはいけない言葉なのです。
— 1%のひらめき (@hiramekik) 2014, 1月 5
これは久々に頭をガツーンと殴られたような言葉ですわ。
「してあげたのに」→「なのに、何もしてくれない」
これを家族や友人に言われたらイラッときませんか?
でも、よく考えると(考えなくても)その人に何かをしてもらったのは事実なんですよ。
じゃあ、どうしてイラッときちゃうのか?
それはこういうことなんかな、と。
「してあげたのに」を発した途端、全ての行為が取引に変わります。愛情でしていた行為も、お返しを期待する取引行為に変わってしまうのです。
過去にしてもらったことを、愛情の上での出来事ではなくて「取引材料」として引っぱり出されるからイラッとくるのか。
はたまた、愛情だ〜って信じてしてもらったことが、実は見返りを期待した取引行為だったと知って、イラッと来るのか。
いろんなケースがあるにせよ、「してあげたのに」という言葉には、見返りを期待した取引行為だったんだ、というメッセージを相手は受け取るわけですね。
そのメッセージに対して、反発なり、失望なりして人間関係が悪くなることは大いにありそうです。
例えば、恋人と別れたければ、頻繁に「あの時〜してあげたのに」を繰り返せば、まず間違いなく愛想を尽されはず。
家族と険悪な仲になりたければ、都度、過去にしてあげたことを引き合いに出して、見返りを求める。
そのうち実家に帰ってこなくていい、出て行け、と言われるはず。
そう思いません?
過去を振り返って
「奢ってあげたのに」
「手伝ってあげたのに」
「助けてあげたのに」
「面倒を見てあげたのに」
「お金貸してあげたのに」
ありませんか?
過去のことを思い出した時に、こんな言葉たちが出てきました。
もちろん、自分も人からこう思われている可能性も高いです。
というか、色んな人から思われてそうでしょうがない気分になってきます・・・
でも「してあげたのに」って言葉を使わないのもおかしくね?
だからといって「してあげたのに」という言葉を封印して人のために、尽くしまくるマザー・テレサのような人間になれるはずもなく。
奢ってあげたら、奢り返してもらいたいし。
手伝ってあげたら、お礼して欲しいし、すごく感謝してほしいし。
助けてあげたら、自分のことも助けて欲しいし。
こんなようなことを考えるわけです。
んーじゃあ、どう考えればいいのかなーと。
それは愛情なのか、取引行為なのか
過去にしてあげたことを気にしすぎるのもよくない。
だが、見返りを期待して、「してあげた」ことが多いのも事実。
だからこう考えるべきじゃないかと。
「愛情なのか、取引行為なのか」
過去に、その人にやってあげたことが愛情から出たことであれば、「してあげたのに」という言葉は心のなかで留めるようにし、
逆に、何かの条件、見返りを期待して「してあげた」ことは引き合いに出していく。
ぼくは、こんな考えに落ち着きました。
今後は「してあげたのに」っていう言葉を発する機会が減りそうです。
あなたの、ちょっとした気付きになれば幸いです。
ではまた!